97番 藤原定家 その1 幕府に忖度?




〜勅撰集の編纂は国家プロジェクト〜 
勅撰集はいわゆる国家プロジェクト、天皇や上皇の命令で撰集が開始されます。勅撰集に和歌が選ばれることは、歌人たちの悲願でした。たとえば『方丈記』の作者の鴨長明は、自分の和歌が7番めの勅撰集である「千載和歌集」に一首選ばれたことを心から喜んでいます(『無名抄』)。ましてや、勅撰集を選ぶ立場の撰者になることは、当代一の歌人であることの証明、とても名誉なことでした。
                                 
藤原定家は2度、勅撰和歌集の撰者になっています。一度目は8番めの勅撰集である「新古今和歌集」、この時は撰者が6人いて、後鳥羽院も積極的に口出ししました。二度目は「新勅撰和歌集」、この時は定家が単独で撰者になりました。


〜後鳥羽院は隠岐の島へ、順徳院は佐渡島へ〜

「新古今和歌集」の完成後、承久三年(1221)に朝廷が幕府の討伐を計画して失敗し(承久の乱)、後鳥羽院は隠岐の島へ、子の順徳院は佐渡島へ流されます。

文暦二年(1235)、「新勅撰和歌集」がいよいよ完成するかというころ、朝廷は、後鳥羽院と順徳院に京にお戻りいただきたいと幕府に申し入れますが、執権北条義時はそれを拒否。朝廷は幕府の意向を忖度して、ほぼ出来上がっていた「新勅撰和歌集」から後鳥羽院と順徳院の和歌を削除するよう命じ、定家は指示に従いました。

後鳥羽院と順徳院の和歌は、定家の息子の藤原為家が撰者となった10番目の勅撰集「続後撰集」で復活します。(野澤千佳子)


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